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中山町誌

四、 伊予信用金庫

 信用金庫は、相互銀行と並ぶ最も重要な中小企業専門の金融機関であり、営業地域も本店所在地の周辺に限定されている。即ち地域的協同主義の原則に従うという点である。
 信用金庫は、昭和二六年に創立されたものであり、当時の中小企業金融の空白に対処するためのものである。以前は協同主義にもとづく産業組合であったが、この中から、大正六年市街地信用組合が分離設置された。
 この組合は一般大衆から、つまり組合員以外のものからも、預金を集めることを許された。ところが、第二次世界大戦後の昭和二四年、市街地信用組合・産業組合等が中小企業等協同組合法によって、信用組合に統合改組された。さらに同二六年、大蔵大臣の監督の下に、国民大衆のために金融の円滑を図り、貯蓄の増強に資するため協同組織による信用金庫を独立させた。
 創立以来、相互銀行と並んで驚異的な発展をとげた信用金庫は、昭和三八年四月末で、その数三三(本支店合計二、九二七)預金は一兆七、三七〇億円に達し、小企業向けの金融機関として、重要な役割を果たしてきた。
 伊予信用金庫は、昭和三年に「有限会社郡中信用組合」として開業、その後、同三〇年に現在の名称に改称した。中山町に出張所ができたのは、同三八年のことである(現・中山支店のこと)。中山町金融の円滑を図るため、商工業者を中心に関係機関の誘致によって開設された。