データベース『えひめの記憶』
柳谷村誌
第二章 いのちの讃歌
黒川渓歌碑の除幕式に来村した歌人は、カルスト高原・八釜渓を探勝した。その探勝感懐を、後日、『月刊時事』の昭和五七年四月号に、「伊予国柳谷村紀行」の題名で述べている。わが村の自然との融け合いの深さに、我々は畏敬するばかりである。いのちの讃歌と題して転載する。
(五四・七・三〇 四国カルスト草地開発牧道未完成分一キロ二〇〇メートルに就て、裁決のため天狗高原に一泊する。七・三一面河に向って黒川渓谷を下る道すがら詠んだ歌)
黒川渓蒼き樹林の底ふかくもののいのちを見せてゆく水
柳谷のきよき川瀬に村の子ら水あそぶ見れば吾孫しおもほゆ
黒川渓は日向なぞえに家むつび裏山なべて深き植林
柳谷村八釜の瀬瀬をたぎりゆくV字の渓をまたいつか見む
(五六・一一・二午後、大川峰の頂上で、)
命いきて伊予大川嶺のいただきの雲の上なる高野原に立つ
このいのちいかにせよとか雨すぎし大川嶺の頂の夕やけのくも
大川嶺の尾根は高野原谷々のいのちやしなひて空につらなる
中津明神岳をとざせし雨後の雲ちりて夕日まともなり大き山体
天地は大いなるかなや四国山脈もただ一つ摺曲ぞ秋ぞらのもと
(五六・一一・三除幕式後、八釜渓谷に下り立ちて、)
黒川渓の紅葉は溶けて空ほそき峡の水ふむ頬もあかるし
たちまちに峡のゆく手を岩とざしのりこゆる水のいのちとどろく
黒川渓に小黒谷の滝つき入りてその落ち合ひの万壑の雷
轟きて釜に入る滝わきかへりあふれて次の釜におちゆく
さかのぼる支谷小黒渓紅葉わけおちくる枝沢ことごとく滝
(柳谷の自然のいのちに対する、柳谷びとの鋭い直観と称えて、)
植林に発電に自然生かしつつ柳谷村はこころゆたけし