データベース『えひめの記憶』
東温市
野中親三郎(1876~1947)
明治9年下林村別府、野中助市の長男として生まれ、16歳で家業を継いだ。資性鋭敏で温情深く郷党の信頼も篤く、明治44年から昭和7年までの間、五期20年にわたって村会議員に、また村長を歴任し、地方自治の発展に尽くした。常に郷土の発展に心を砕いたが、伊予川内県道の誘致、下林の主要水源「佐川谷池」の底樋改修、于原の開拓・植林事業の推進等に尽力した。
わけても、左川谷道の開設は年来の宿願で、その資金を中山入山に求めた。すなわち、下林有志と相謀り中山を二つに分け、自ら下組保護組合長となって自然林の保護育成にあたった。ところが、この保護林による資金調達を目捷にして昭和22年3月73歳で病没した。
同27年、中山の美林で以て宿願の別府・左川の車道を開設することができ、産業の発展に大きな貢献をした。その功をたたえ昭和32年、拝志村有志・保護組合・別府の各組によって、頌功碑が建立された。(『重信町誌』より)