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面河村誌

三 大正期の人口

 大正・昭和期の人口は、国勢調査の資料で郡内他町村と比較して五年ごとに動きを見てみる。明治四十三年を一〇〇として、面河村の人口は、大正十四年、九五に落ち込むが、他は、順調な伸びを示している。郡内他町村の動きもほぼ同様で、第一次大戦後の不景気時期に人口が流出し、金融恐慌(一九二七)、世界恐慌(一九二九)という未曾有の経済危機を迎えると、また上浮穴の人口には増勢に向かっているのである。ここに、都市経済の安全弁としての農村の姿がみてとれるようである。大正十年には四二九人、同十五年には一〇八六人もの人口が、面河から北九州の炭鉱や銅山へ向かって流出している。
 さて、昭和に入ると、満州事変(一九三一)、日華事変(一九三七)、太平洋戦争(一九四一)と相次ぐ泥沼の戦争に突入し、戦争犠牲者も相次いだのであるが、漸増の傾向をたどり、終戦の年には、疎開者・復員者・一時帰農者などで農村の人口はふくれあがり、面河村でも四九三五人とこれまでのピークを迎えることになる。

郡内町村別人口推移

郡内町村別人口推移